高塚熊野神社の由緒
当社は、後三条天皇の延久年間(約940年前)に創建されたと口伝され、紀州和歌山の熊野本宮の神主が諸国行脚の途中でこの地に足を留めて祭祀したと伝えられ、熊野三社権現と称えられました。
ある時、神主が「高い丘を作って人々を救え」という不思議な夢を見たので、村人と図って神社の裏山に土をもりあげました。その後「安政の大地震」が起こり、津波の為多く死者が出ましたが、この里の人々はこの丘に避難して難を逃れたと伝えられます。又一説には、大津波の犠牲者をこの地に葬り沢山の砂を浜から運んで(浜垢離の起源)、高い墓を築いたと…
大きな墓(つか)であったので大墓、高塚(たかつか)と呼ぶようになり、地名になったと伝えられています。